絵好きによくある過去の傷

子どもの頃から絵を描いてた人には、共通の小さな傷があると思う。(たぶん)私の場合は「横顔の目は1つしか見えない」。前に何かの本で見たマンガ家先生の話しでは「地平線に人は立たない」ってのがあった。私の場合、保育園の年長の時に男の子が私の絵(女の子の横顔)を見て「なんで目が1つなんかぁ、人間の目は2つどぉ」っていちゃもんをつけて来て、私は頑張って説明したんだけど、押しが強くて声の大きい方が勝つのはしかたのないこと。私の言い分は納得してもらえなかった。子どもの言うことなんだからしかたがないが、説得できなかった自分が悔しかった。感受性が強く、人の悪意も察知してしまうので、疲れやすく、4月生まれだからか、先生から特別にひきたてられ、拍手する同級生の中に混じって妬む人間もいた。出る杭そのものだったのだ。この時はまだ「なにくそ!」って思えなかった。敵を増やさないように、目立たないようにする技術を覚えた。
絵の事は、先生やほとんどの同級生が認めて誉めてくれていたが、中には意地悪な皮肉を言う人もいた。辛辣にけなすことで、勝とうとする人がいた。自分は別に天狗になっているわけではなく、自分の思いつくことを行動に移しているだけなのだが・・人のすることが気になってしょうがない人間
はどこにでもいる。競争心むきだしの人って苦手・・
マンガ家先生の「地平線」の話し・・保育園(か、小学校)の頃、人が普通に立ってる絵を描いたら、「どうして、地面に人間が埋もれてるのか」ってケチつけられたってもの。「私に言わせてみれば、地平線に人が立つ方が変だけどね」ってコメントがあった。(大人が絵の事を「お人形さん」って呼ぶのもいやだったって書いてあった。)同じだ~と思った。ちょっと同い年の子と違う観察の仕方をすると、必ず誰かがバッシングをする。
でも、自分にできることを精一杯して、思いっきり能力を出し切っている潔さが私は好きだ。
それで、結果的に「目立ち過ぎ」て、妬まれても、妬むほうがレベルは下なのだからと思っていれば良いのだ。
ちょっとぐらいできないふりをしたほうがかわいいなどと女にばかばかしい要求をするコンプレックスの裏返しのような男性(自分に自信がないので、相手のミスによる相対的な優越感をねらう心理)もいるが、逆にのびのびと自由に生きている女性を応援する器の大きい健康な魂を持った男性もいる。
足を引っ張るような人のことは、このさい、断ち切ろう。人それぞれ相性があるからしかたがない。
能力の出し惜しみをするのは心の健康に良くない。自分にうそをつくのが一番良くない。それは病気になってはじめて知ることだ。どこかで、自分に無理をさせてるから、まっすぐにもどれと体が教えてくれている。
私の場合、高校のころの嫌な記憶(「こんなのまるで漫画!」と言われた)がもとで、絵を描く時に嫌な記憶が蘇るので、人物画は描かなくなってしまった。タッキーを描こうと思うまではまったく描いていなかったのだ。普通のデザインっぽいイラストも、「お礼するからTシャツのデザイン描いて」と頼まれ気軽に描いてあげたら「カラダで返しちゃる」って言った男のこととか、(あんた鏡を見なさい!)喫茶店のメニューを何枚も描いたら「1枚1円」って言われたり、いいように利用する人が多く、絵にはあまりいい記憶がなかったのだ。逆に、イラストを持って行ったらすごく感謝してくれてすぐに代金をくれた人も多いんだけどね。
小さい頃から大好きで得意な事だからこそ、傷も大きい。自分の中の多くを占めてるものだからこそ、傷つけたくなくてわざと避けたりする。「描けたからってなんの役にもたたない。逆にコンプレックスになっただけ」と、なんでもないかのようにごまかしたり。これが英会話とか水泳とかパソコンとか、大人になって始めた事なら人が何を言っても全然平気なのだ。「そうなんです、最近始めたので~」と笑えるのだ。
絵が得意、歌が得意、ピアノが得意、スタイルがいい、顔がいい、勉強が出来る・・など、その本人がみんなそれを喜んでるとは限らない。妬みをかって、「いい気になるな」って言われたり、近寄りがたいと敬遠されたり、それにより、自分の性格に問題があるのかなと悩んだり・・特に日本の学校は(会社もかな)平等を望み過ぎて、出来過ぎるとなぜか肩身のせまい思いをするような気がする。「平等、平均」って言葉ではもう1つ逆の問題もあって..全ての科目が平均的に出来る事を望もうとする。何か一つが秀でてればいいじゃないの!と思うけどね。しかし、これは、私がどうにかする問題ではない。寿命がたりない。私のまわりから居心地の良い環境にしていくしかないのだ。
今私が思うのは、「あんたの意地悪になんか負けないぞ!」って気合入れて、正直な自分のやり方を貫く事が大事だったということ。あのままずっと絵を描かなかったら、逃げたままだった。この気合はどんな時なら消えにくいかっていうと、何か目標がはっきりしてる時。ありきたりなようで重要。夢の形がはっきり決まってると、小さな中傷がくだらないたわごとに思える。「なーーに言ってるんだか」「私がする事がそんなに気になるの?」「それより自分の人生を考えたらどうですか?」って感じで。
夢をかかえている人すべてに言いたい。「絶対、責任のない他人のたわごとに負けないで!!」と。私もそう考えて頑張る。
負けるのは、だいたいが、「自爆」だ。誰かが私の右手を押さえつけた訳じゃないのに(だいたいおさえつけられたって、はねのければ良いではないか。)憂うつになるのが恐くて自爆していたのだ。自分で勝手に止まってしまったのだ。
場所を変えれば常識も変わる。相性の悪い場所に居るなら、さっさと抜け出そう。そこが世界の全てではない。
顔と中身は関係ないというなら
タッキーがもしもあの外見の美しさで妬みをかうことがあったら・・あの美しさは逆に、本人の責任ではないのに!と思う。
よく「顔と中身は関係ない」って言葉を「顔が悪い方が性格がいい」って解釈に使う人がいる。それは、おかしい。変な言葉だ。
正しくは
1.顔が良くて性格がいい。
2.顔が良くて性格が悪い。
3.顔が悪くて性格がいい。
4.顔が悪くて性格が悪い。
この全てが成り立つって事でしかないのだ。
だいたい、いい性格、悪い性格って何?人間誰でもいいところと悪いところがある。
あの性格の、まっすぐな感じ、面倒見のよさ、頑張り屋なところ、人の希望に応えようとするサービス精神、いいものを作ろうとする探求心・・テレビや雑誌を通してここまで感じる良い面を、全部裏目にとって悪く言う人がいるとしたら、皮肉ってばかりいると自分も同じ目にあうよと言いたくなる。言ってる間はあなたも進歩ないよと。それは、私も自分の中の妬みに苦しんだ経験があるから。誰かを妬む時は、自分で自分が嫌いな時。妬む気持ちを分析すると、「自分がやりたいって思ってた事を他の人が先にした!」って心理。それが分かったら、「自分も頑張ればいいんだ」と思えるんだけど、もやもやしてる時はそうもいかない。持ってるものが違いすぎる時も、すぐには解決出来そうもない。でも妬みに支配されてる間は進歩がない。最初はちょっと辛いが、自分が妬んでる事を自覚して、さっさと「自分の味」を見つける方向にそのエネルギーを使わないと・・
ペットを飼っている人を特集した番組で笑いがとりたいばかりに「寂しい人ばっかりなんだね」という言葉でおとす司会者。聞いた方はがっくり。「ペット=さびしい気持ちをなぐさめる」なんて貧相な発想。動物が好きなのは本能だと思うな。人も動物だ。
趣味に没頭してる人や、しあわせそうな人をつかまえては「日本は平和だね~ぇ」としたり顔の人。
ジャンバーのデザインが変わったのをどう思うかと聞かれて「ジャンバーが変わったからって別に野球が強くなる訳じゃないので」と冷めて言う人・・気のきいた事を言いたいのかな?いやいや着てるのかな?デザインやカラーも気持ちに影響するぞ!
手間がかかる何かを成し遂げた人に「よっぽど暇だったんだね」って言う人!!よっぽど認めたくないらしい。あなたは負けず嫌い?
綺麗な人と恋人同士になった男性に「うまくやりましたね。」と言う人。恋愛はうまくやれることではない。ゲームではない。
ちょっともううんざり。無駄なエネルギー。せっかくの好意を悪気にとったり、皮肉の材料にする力を他にまわせばもっと人生楽しくなるのにと思う。でも言う人の口を押さえる訳にはいかないから、自爆しないように目標持って自分の本音を信じてやるしかないのだ。少なくともその方が自分がしあわせ。自分で自分を嫌いにならなくてすむ。いい方に解釈する仲間に入っていたいと思う。