まるで大きな鍋?

なんとなく思う世界観
「大きな鍋の中の豆」
鍋の中の豆が隣の豆にこしょうをかけました。「えい!」・・でも同じ鍋の中なので結局自分にもこしょうの味がついてしまいました。
これは私が世界のいろんな事を考える時なぜか出て来るイメージ。早く言えば因果応報。例えば、ガムを道に捨てたやつへのマイナスエネルギーは、踏んで不快に思った誰かの「くっそー、きたないなー」って思い。その思いは別に会っていなくても誰だか分からなくても、確実に見えない世界を通じて捨てた人の魂に届くと思う。お見通し。
誰かをしあわせにする手助けをしたら、その時すぐに自分もご褒美をもらっている。美学とか誇りとか、使命感を達成した充実した感じ、存在理由・・
情けは人のためならずでいうところの、見返りを少し求めている雰囲気はなくて、ほんとに、人がよろこぶのが単純にうれしいのだ。誰もが持つ共通の気持ちだと思う。
一人占めのしあわせには限界があるけど、同化して共感してみんなでハッピーになったらどこにも妬みは生まれない。
上手く説明できないけど。さっさとみんなでハッピーになろう!と思う。単純なことだ。
又は「大家族」
退屈でしょうがなかった長女。自分でテレビ番組を作って自分で見るってのもいいんだけど・・せっかくだから、得意なお兄ちゃんに任せた!そこに人を楽しませるのが得意な赤ちゃん(タッキー!!)が生まれて来て、家の中はますます楽しくなった。
とりあえずお金のことを抜きにして、大きな家族と思って考えた場合、みんな自分に出来ることをして結果的には助け合って生きてるなーと思う。誰かが代りにしてくれるから、私も代りにしてあげよう・・私に出来る精一杯のことを・・例えば、私は血が苦手で皮膚を切ったりできないから、この世界にお医者さんがいてくれないと本当に困る。私が苦手なことを好きな人がいてくれて良かった。でも誰かが苦手なことを私はしてあげてるんだろうか??自分に何ができるだろうか??